目でみることばblog

ことば探検プロジェクト

弥生式土器の命名由来

先日、東京の文京区のあたりを散歩していると、こんな石碑を見つけました。

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「弥生式土器発掘ゆかりの地」とあります。むむぅ。気になりますね。その詳細を知るべくあたりを見渡すと、こんな立て札が。

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書き起してみます。

《旧向ヶ丘弥生町(昭和40年までの町名) 江戸時代は、御三家水戸家の中屋敷であった。明治5年、町家ができて向ヶ丘弥生町と名づけられた。町名は水戸家9代斉昭が屋敷内に建てた歌碑からとられた。「文政十余り一とせといふ年のやよいの十日……名にしおふ春に向ふが岡なれば 世にたぐひなきはなの影かな」明治17年、ここの貝塚から発見された土器は、町名をとり弥生式土器と命名された》

 つまり、弥生式土器というのは、弥生町から発見されたから命名されたもので、もとを辿ればその町名は、水戸の徳川斉昭が名付けたということなのです。

 へー!知ってましたかこんなこと。弥生式土器と並び習う「縄文式土器」は「縄の目」を土器に付けていることに由来しているので、「弥生」もてっきり、加工法とか装飾の手法だと思っていたのに、地名だっただなんて!ことばには知らないことがたくさんありますね。